逗子米軍池子住宅地区
11月30日の朝日新聞の報道で、逗子市の米軍池子住宅地区にある日米共同使用道路(逗子医療センター進入路)が返還される記事があった。
この池子米軍住宅については、1982年、池子の森を守ろうと市民が立ち上がり、池子米軍住宅反対運動が始まった。逗子市民だけでなく神奈川県内の意志ある女性たちも参加、環境問題を掲げて、予定地の前に大勢が参加、声を上げた。今、従来の基地闘争とは異なった反対運動の視点で注目されている。反対運動の膨大な記録を市民がまとめ、「市民が政府にそして米国政府に粘り強くしなやかに問題を訴え、政界にも知られる運動となった」と当時市長を務めた冨野暉一郎氏の言葉。
少しづつでも返還され、市民が安心して利用できるようになるのは当然ながら喜ばしい。