8月5日について

今から80年前、1945年8月5日、米軍の機銃掃射を受け二宮駅で、幾人かの人の命が亡くなった。この事実を忘れないために戦後44年目の8月5日、多くの町民からの寄付により、二宮駅南口階段下に「ガラスのうさぎ像」は建てれらた。この像のモデルとなった高木敏子さんは12歳だっ時、二宮駅で自身の目の前で父親を亡くされた。その経験を元に書かれた児童書「ガラスのうさぎ」は多くの人の心に戦争の悲惨さや平和の大切さを世に伝え、テレビや映画のドラマにもなった。二宮町では毎年8月5日には「ガラスのうさぎ像平和と友情のつどい」がラディアンホールで行われているが、子どもたちの参加が広がる事を期待したい。                              像を作ったのは圓鍔勝三氏(文化功労章、文化勲章受章者 広島県尾道市出身、1905年~2003年)であることもあまり知られていないのではないか?

像の下にある碑文

太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日 ここ(国鉄)二宮駅周辺は艦載機p51の機銃掃射を受け、幾人かの尊いう命がその犠牲となりました。               この時、目の前で父を失った12歳の少女がその悲しみを乗り越え けなげに生きることを書いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」は国民の心に深い感動を呼び起し 戦争の悲惨さを強く印象づけました                             この像は私たち町民が平和の尊さを後世に伝えるために,また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くのご協力をいただき、建てたものです。少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。ここに平和と友情を永遠に。昭和56年8月5日「ガラスのうさぎ像」を二宮駅に建てる会

毎年像の周りに8月5日から終戦日の8月15日まで千羽鶴が各団体、個人から集められている。夜には竹製のライト(太陽電池)が像を照らし続けている。          戦後80年、この像が立って44年。                        これからも平和な日本であることを祈りを込めて。